社長インタビュー
幼少期〜学生時代
株式会社ヤマサキは祖父が昭和29年に創業した会社で、祖父は私が小学校低学年の頃まで社長をしていました。 その後は父が社長を引き継いだのですが、私は小さい頃からよく工場に遊びに行ってました。 当時はまだ自分が社長になるなんて思っていなくて、岡山の自然の中で伸び伸びと育った普通の少年でした。 学校から帰ると工場のお兄さんたちに可愛がってもらったのを覚えています。
高校・大学
高校の頃からはラグビーに熱中していました。 勉強もそれなりに頑張って、近畿大学商経学部(※当時)に入学と同時に大阪へ。 大学では、正直あまり勉強をした記憶はないですね。 ラグビーとバイト、それに友人と麻雀なんかをやって過ごしていました。
上京
大学卒業と同時に、大阪市内の機械工具の商社へ入社しました。 入社してすぐに東京の支社へ配属が決まり、上京。 もう20年以上前のことになりますけど、当時のことは昨日のことのように鮮明に覚えてますね。 仕事内容は営業事務と言う名の営業の修行です。 内勤で電話受けをしながら、商品を覚えたり、お客さまの対応をしたりがメインでした。 お得意先は工具屋の親父さん達。電話とは言え一日中対応するのは骨の折れる作業でしたよ。
新入社員時代
当時のサラリーマンは昼だけでなく夜もハードでした。 朝は7時半に出社して、退社するのは9時くらい。 それだけならまだ良いのですが、仕事が終わった後に週に3〜4回は飲みニケーションです。 所長が無類の酒好きでしたから、断れないんですよ。 正直、嫌で嫌でしょうがなかったです。。
ヤマサキへ呼び戻される
そんな仕事にも少しずつ慣れてきた24歳の6月頃のことでした、千葉に住む伯父さんから突然電話があったんです。 そして、どうやら父親の会社が大変らしいと。 会社の状況が芳しくないというのは薄々感じてはいたのですが、驚きましたね。 銀行さんとの話し合いから、私が帰って社長を継ぐことが既成事実になっていたようで、 会社からは引き止められましたけど、2ヶ月後のお盆には岡山に戻りました。
弊社での社員時代
ヤマサキへ戻ってから
そのような経緯から、1998年の夏、24歳で父親が社長をやっていた当社に戻ってきました。 最初の1年間は工場で働きました。 色々なポジションを一通り経験した後、ベビー用品レンタルの配送に異動しました。 お客さまから注文をいただいた商品を組み立てたり、使い終わった商品を引き取ったりといった配送業務をしながら、 メーカーとしての営業をしていました。 当社のお得意先は地元よりも大阪や東京などに多いのですが、そのお得意先を2〜3ヶ月に1回訪問させていただく。 このお得意先への営業は今でも続けています。
社長を引き継ぐ
私が当社へ戻って約7年が経った31歳の頃、先代の父から社長を引き継ぎました。 当時は既に結婚して子どももできたばかりの頃で、もちろん多少の不安はありましたが、 社長になることへの迷いは全く無かったですね。 どうせ逃げられないと思っていましたし、社長になるつもりで7年間働いてきましたから。 30歳の時に顧問税理士にも相談したんですよ、すぐにでも社長になりたいと。 そしたら賛成してくれて。社員達も温かく迎えてくれましたね。
苦労の連続
社長になって最も大変だったのはやっぱり売上が上がらなかった時期です。 大きく売上が凹んだ時期が2回あったんですが、その1回目が2009年です。 売上が下がったのは介護保険制度の改正も理由の1つですが、実は一番のお得意先からの注文が止まったことが主たる原因でした。
お得意先からの発注停止
その会社さまはベビーベッドのレンタル会社なんですが、レンタル用のベビーベッドの購入が一段落したということで、 それまでの大量の発注がピタッと無くなったんですね。 レンタル用のベビーベッドのストックが十分できればいつかは発注が止まるとは思っていましたが、これは準備不足でした。 あまりにも1つのお得意先に頼りすぎてはいけないということを学びました。
消費税の改正
2回目の、売上が大きく下がった年は2013年です。これは明らかに消費税の増税が影響しました。 当社は、製造したベビーベッドを直接、顧客へ販売・レンタルもしていますが、主力は業者様との取引です。 そのため消費税の影響はそれほど大きくないと甘めに予測をしていました。 しかしこの時も、前回ほどではないものの、売上前年比2割減という月が半年ほど続きました。 秋くらいから徐々に持ち直したのですが、この時はさすがの私も精神的にかなりまいりましたね。
売上減から成長
2回の売上減のどちらのケースにもあてはまるのですが、どうしても外部要因に左右されてしまうことが大きい商売です。 当時は特にベビーベッドの業者向け販売の比率が今よりも大きかったので、ダメージもその分大きかったということもあります。 しかし今では、ベビーベッドの販売以外に、インターネットを通したベビーベッドのレンタルや、福祉・介護用品のレンタルなども伸びています。 2回の売上減の教訓を生かして、会社としても、経営者個人としても成長できたと考えています。
お得意先からのクレーム
私が社長になって間もなくの頃、あるお得意先さんから「仕様と違う」というクレームが入ったんですね。 でも私はちゃんと指示を出していたので、そんなはずはない、もう一度確認してほしいと突っぱねました。 当時の製造部門の責任者にも確認をとりましたが、やはりちゃんと指示通りやっているとのこと。 お得意先からは何度か電話があったのですが、その都度何かの間違いだと言って電話を切りました。 しかし、どうしても引き下がらないそのお得意先から、ある日とうとう呼び出されました。 そこで私が目にしたのは、たしかにお得意先が言っていたとおり、仕様通りに作られていない当社のベビーベッドでした。 もうガチで怒られましたよ。。 実は今の今まで記憶から消していたくらい、そのくらいこっぴどく言われちゃいました。 当然、担当者には「なぜ言ったとおりやってくれなかったんだ」という怒りと、でも最終責任者としての自分の無力さ、 そしてお客さまに対する申し訳無さで、私は悔しくて情けなくて、そのお客様の前で泣いてしまいました。
理念
嘘をつかない、ごまかさない
その時の経験から、私は常日頃から社員には「嘘をつかない、ごまかさない」ということを口を酸っぱくして伝えています。 実は製造の過程で、ちょっとした嘘やごまかしはやろうと思えばいくらでもできます。 そうすれば確かに、製造原価や人件費などのコストを安く抑えることができるでしょう。 しかしそれだけは絶対にやりたくありません。
その人のためにならないものは売るな
同じように私は「その人のためにならないものは売るな」ということも伝えています。 例えば、友人からベビーベッドを買いたいと言われても、私が必要なさそうだと思ったら「買わないほうがいいよ」と言います。 もちろん買ったほうが良いと思ったら「買ったほうがいいよ」と言います。 仮に「◯◯のベビーベッドが買いたい」とお客さまが口に出したとしても、お客さまはベビーベッドについては素人です。 プロとしての私の意見で、買わないほうがいいと思ったら、それを正直にお伝えするわけです。 一般的には、営業担当者は売上を上げることを至上命題としています。 もちろん売上を上げることは会社の存続には必須です。 しかし、その人のためにならないものまで売って得た売上に何の価値があるでしょうか。
ベビーベッドに対する想い
以前は国内でベビーベッドを製造する会社が、私が知っているだけでも20社以上はありました。 しかし今では当社を含めて4社しかありません。それだけ、国内で製造するのは難しい仕事なんです。 ヤマサキはこれからの日本を支えてくれる赤ちゃんに商品・サービスを提供しています。 頑なにベビーベッドの国内製造にこだわってきましたが、それは我々の強みでもあり、そして誇りなんです。 これからも「人生の始まりと次の始まりを支える企業」であり続けるため、私は挑戦を続けていくつもりです。